阪急梅田の構内、紀伊之国屋書店の西側に、「北向地蔵」がお祀りされています。
毎月24日には太融寺からお坊さんが来て、月並祭が行なわれています。
奉賛会が結成され、長らく、お地蔵さんのお世話をされているのですね。
また、効き目のあるお地蔵さんなので、月並祭のみならず、たくさんの人が参ってはります。


そのむかし、お釈迦さんが2人の王に、説教しました。
うち、ひとりの王は、如来になってから(悟りを開いてから)民を救おう、と。
もうひとりの王は、民を救うことで如来になろう、と。
これは、方法論が違うだけで、どちらも如来になることを目的とし、民を救おうとしていることには変わりがありません。
後者が、地蔵菩薩です。
もっとも、菩薩さんはすべて、如来に至る修業の身のお人なので、たいていは民を救う使命を帯びています。
仏教というのは、そもそもが民の救済なんか目的としておらず、ただただ個人の魂の解脱を目指すものだけれども、解脱を達成するための修業のひとつに、民の救済があります。これを、慈悲といいます。
菩薩には千手観音菩薩、弥勒菩薩、虚空蔵菩薩といろいろあるけれども、お地蔵さん、つまり地蔵菩薩は、大衆のなかに入っていって、民とともにあろうとした人です。
仏教的なストーリーのなかで語れば、釈迦の入滅から56億7000萬年後に弥勒菩薩が出現するまでのあいだ、現世に仏が不在になってしまうので、その間、六道を輪廻する民を救うのが、地蔵菩薩であるとされています。
六道というのは、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道で、民は、この6つの世界のなかでしか生まれ変われないのだけれども、地蔵さんは、すべての世界に存在して、民を救うといいます。
本来、仏像を祀るときは、南向きに祀ります。
これは仏教が中国経由で日本に入ってきたためにできた風習で、中国では、エラい人は、南を目指すので。
中国世界では、北というのは、一段下がる土地です。
だから、勝負に負けることを「敗北」と言いますな。負けて北へ逃げる、という意味です。
南面の王者、北面の武士、という習わしも、その伝です。
ということで、崇拝の対象である仏像は、南に向けて祀るのが習わしなのだけれども、お地蔵さんだけは、北向きに祀ることになっています。
お地蔵さんは、民とともにありたい!とする人なので、他の仏像さんよりも卑下するという意味で、北向きに祀られるのですね。
でも、これを知らない人が多く、他の仏像同様に南向きにお地蔵さんを祀っているところもたくさんあります。
それどころか、ほとんどのお地蔵さんが南向きに祀られてしまっているので、本筋である北向きに祀ったお地蔵さんは、かえって珍しい存在になってしまった。
珍しいゆえに、かつ本筋の祀られかたをしているために、梅田の「北向地蔵」は、わざわざそのように命名され、さらには霊験あらたかとして全国で評判を呼んでいます。
さて、梅田の「北向地蔵」ですが、明治24年、このあたりの畑から偶然に掘り出された自然石の地蔵尊です。
明治26年に御堂が北向きに建立され、爾来、一願地蔵尊と呼ばれて多くの善男、善女の崇敬を集められています。
毎月のように月並祭を行なって、きちんとお世話されています。

ところで、お地蔵さんは、地蔵盆と深く結びついていて、お子とともにある、というイメージがあります。
これは、お地蔵さんには、冥府においてすら亡者を救うとされていて、それが、幼くして死んで賽の河原で苦しむ(親よりも早く死んだために親不孝の罪を背負って苦しむ、ということです)お子らを救う、という話に転じていったからです。これは、お子を失った親たちの魂を救います。
この話は、江戸時代に、「地蔵和讃」の唄として、日本中にひろがったといいます。ここから、お子らとともにあるお地蔵さん、というイメージが定着しました。
お地蔵さんを拝むときは、ちゃんと、真言、つまりお経を唱えます。
真言とは、本質的な意味を伴った言葉、力のある言葉、効き目のある言葉、というほどの意味です。ものすごーく乱暴にいうと、呪文ですわ。
で、お地蔵さんを拝むときの真言は、
「オン カカカ ビサンマエイ ソワカ」
です。
「カカカ」、というのがおもしろいですね。これは、お地蔵さんはお子らのアイドルなので、いつもニコニコしているさま、つまり笑い声を表現しています。
末尾の「ソワカ」は、たいていの真言にひっついてますが、天上のすべての神々に捧げられた供物、というほどの意味です。
冒頭の「オン」は、宇宙の根本原理を象徴してます。ちなみに、オウム真理教の「オウム」は、こっから来てるのだけれどもね。
全体のイメージとしては、
お地蔵さんに帰依するので、救ってくださいませ、
というほどの意味です。
北向地蔵尊
大阪市北区芝田1-1-3 阪急三番街 地蔵横丁